これは私が子供の頃は遅刻しそうになるとパニックを起こしていたのに、大人になるにつれて遅刻に寛容になって落ち着けるようになった話です。
遅刻しそうになるとパニックを起こして泣いてしまう、罪悪感を抱えてしまう人って多分きっと同じような気持ちなんじゃないかな、というのと私自身を整理するための記事です。
遅刻してはいけないと義務のように思っている人がどんな事を考えているのか、共感や参考になれば。
遅刻は絶対にしてはいけないことだと必要以上に思っていた
いや、遅刻が良くないことは当たり前なんですけど。それを必要以上に重く考えていたんですよね。
小学生の頃は1分1秒でも遅刻をしてはいけない、まず親にこっ酷く怒られるし、遅刻をすると授業についていけなくなるし(自分は塾にも行ってないからその範囲はわからない)、変に目立っていじめられる、出欠に「遅刻」と書かれることはいけないことだ、と強く考えていました。
遅刻しないことが義務、みたいな感覚です。なので基本的に遅刻をすることはなかったのですが、ごく稀に寝坊なんかするとパニックになって何も手につかずギャン泣きしてました。もうこの先真っ暗、みたいな。全部おしまいだ〜!っていう感じです。
小学生の遅刻って大人の遅刻に比べたら失うものなんて少ないのに、変に真面目な性格だったのでしょう。他人の遅刻に対してすごく悪いと思うことはありませんでしたが、自分が遅刻をするという行動には自分が耐えられないし許せなかったのです。
もともと教室には2、3番目くらいに入る早め登校タイプだったので、寝坊しても親に車を出してもらって大抵ギリギリ間に合っていましたけどね。滅多に休むこともなかったので、そんな日は「お休みかと思った」と友達に言われていました。
中学生時代になってもそれは変わらずでしたが、遅刻してしまうものは仕方ないと割り切るしかない大遅刻をしかけた事件が起きました。
学外の学力テストの日に大寝坊して本当にやばい遅刻を知る
忘れもしない中2の3月のことです。翌年度から受験生になるにあたって、人生初の学外の学力テストを受けることにしました。会場までは電車とバスを乗り継がなければなりません(車なら飛ばせば20分くらいの場所だけど交通の便が悪すぎる)。
そんな日にテスト開始1時間を切った時間に目が覚めました。自分でもびっくりしたし、公共交通機関では間に合わないし、学力テストの費用が無駄になってしまうのが親に申し訳ないしでやはりギャン泣き。友人と一緒に会場まで行く約束だったので、友人にも迷惑がかかっています。
ここで初めて、学校の遅刻は自分が思ってるより大事ではないし、それよりも取り返しがつかない遅刻があることを知りました。
結局その日は親に怒られながら車を飛ばしてもらい(親が会場の場所を知っていて助かった)、事なきを得ました。
親の車に乗っている間、朝ごはんのパンを食べながら間に合うかもしれないという安心感よりも謎の虚無に襲われていましたが、多分遅刻することへの理解だったのだと思います。ここまで盛大な遅刻をして初めて、泣くことでは何も解決しないしそれでも行かなければいけないし、遅刻してはいけないけど遅刻して死ぬのはこういう大事なときくらいとそこでわかった気がします。
この失敗で少し学び、高校へと進学しました。
電車に乗るとどうしても遅刻してしまうこともあると知る
高校へは電車通学だったのですが、高校の最寄駅は各駅停車しか停まらないためダイヤが狂ったりうっかり1本逃すとちょっと心許ない時刻の登校になるような状態でした。
やはり登校は早めの時刻を心がけていましたが、踏切が閉まってしまい駅に辿り着けなかったときや、忘れ物をしたときなどは申し訳ないと思いながら家に引き返して親に車で学校まで送ってもらいました(電車で行くよりも車飛ばした方が早いパターン)。
この頃からようやく、電車とか自分ではどうしようもないことで遅刻せざるを得ないことがあることに気づき遅刻しそうでも落ち着いて最速で辿り着く方法を考えるようになりました。
遅刻どころか電車の架線が切れて運休になり、教員生徒のほとんどが学校にたどり着けない日もありました。
小学校も中学校も徒歩通学だったので、自分の寝坊くらいでしか遅刻する理由がありませんでしたが、「電車」という自分ではどうにもできない理由で遅刻や登校できなくなることがあることも遅刻にもっと寛容でよいと理解する理由としては大きかったと思います。そうなると、自分ばかりを責めても仕方なくてパニックを起こしにくくなりました。
あと電車が止まるとみんな遅刻するので。遅刻するのが自分だけではないという安心感も大きかったと思います。
遅刻癖がある人間と出会う
高校生になると遅刻癖がある人が学年に何人かいることがわかりました。
彼らは平然と遅刻するのでもはやそれが当たり前なんですけど、それで堂々としているのが新鮮だったし遅刻してもそんなに慌てることでもないのかもしれないと思うようになりました(慌てはしますけど、いつまでも慌てていても仕方ないという割り切りですね)。
同じ部活の子にも遅刻癖があり、大抵の集まりには遅刻してくるタイプでした。
遅刻したら置いていくからね!という学外での活動にも遅刻するので、大会とかで遅刻してきたらどうしようという恐怖はありましたが、本当に遅刻されると困る日はちゃんと来たのでまあそういう人なんだなと、遅刻される側の割り切りもできるようになりました。
逆にこの人は遅刻するから早めの集合時刻にしておこうとか、定刻通りに行っても多分待たされるだけだから10分前後は多めに見ようくらいと考えられるようになったので自分と真逆の遅刻癖のある人と出会えたメリットは大きいです。
アルバイトをして社会での時間の流れを知る
まあ学生アルバイトなんですけど。
シフト制の接客業だったので、時間通りに行かないとお店にも、他の従業員にも、お客様にも迷惑がかかるという遅刻ができないアルバイトに従事していました。
初めて社会に出てみて、遅刻できない場面でも遅刻する人はやっぱり遅刻するし、電車や天候の問題で出勤できない時はそもそも社会も止まるということに気づき始めました。
基本的に時間通りに社会は動くけど、やむを得ないときだってあって、よっぽど遅刻を繰り返すとかしなければ人生が詰むという場面は少ないです。
焦っても仕方ないし、その分をどう取り戻すか?が重要になってくるわけで。
それを考えると冷静に頭を回せるようになりました。
これがようやく大学生の頃の話。
ゆるく待ち合わせることを覚えて、ゆるくなりすぎる、今
大人になると行動範囲も広がりますし、友人と遊ぶにしても各々の家が離れていて電車のダイヤがうまく噛み合わないことも多くなりました。片方は早く着くかちょっと遅れる電車しかないけど、もう片方はちょうどいい時間の電車があるみたいな。
そうなると、目的の場所に間に合えばよいよねという感覚でゆるく待ち合わせるということもできるようになりました。「絶対にこの時間に待ち合わせようね!」は片方ばかりが負担になることもあるので。そうやって時間に融通をきかせられる考え方も、大人になってできるようになりました。
子供の頃の遅刻を気にしすぎて何も出来ずにギャン泣きしていた頃から考えると大きな進歩です。
ただ、これをやりすぎると親しくても逆に遅刻魔っぽくなってしまうことも最近気づきました。確かに自分の中ではガチガチに時間を気にしないで落ち着いて行動できるようになったのは大きな進歩なのですが、他人から見たらそんなの知ったことではないので。
ゆるくなりすぎてしまったことが、最近の自分の反省点です。
おわりに
こうして振り返ってみると、本当にこの変化は自分の中でだけの変化で他人には見えないものなんだなと思います。
遅刻してしまうのは良くないけど、遅刻しても割り切って上手く取り戻せたら大丈夫だから重たく考えすぎる必要はないのだと今日も自分に言い聞かせていこうと思います。
最後にわりとやってしまった遅刻とやらかされた遅刻2選を。誠意を持った謝罪をすれば、許してくれることもある。
遅刻した話:友人とイベントの物販に行く約束をして当日待ち合わせ時刻に起床。連絡入れて急いで向かったので物販開始時刻には間に合ったけど、真冬の海沿いで2時間も1人で待たせてしまいました。コンビニで温かい飲み物買って謝罪。友人が1人でも楽しく待てるタイプだったので、会ったら許してくれたし本当に1人で時間を潰すのが上手い人も見習いたいと思いました。そんな友人に感謝。
遅刻された話:私の誕生日に彼氏が待ち合わせ時刻から3時間半遅刻(最初の2時間は連絡が取れなかった)。2時間も連絡がつかないと流石に何かあったのではないかと不安になったし、遅刻する場合は絶対に連絡は大事です。連絡があってからさらに1時間半の待ち(誕生日プレゼントを家に忘れたのだとか)。私も急いで待ち合わせ場所に行ったので、急ぐ必要なかったなとかカフェに入れたなとか、プレゼントはいらないから早く来て欲しかったなとか。会うことが目的の場合、信頼を失う遅刻になるので絶対にフォローはしてくださいね。結局一緒にいたのは1時間半程度でした。
以上。ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。
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